損得感情から、尊徳感情へ

誰かに自分自身を理解して欲しいと望むことが

苦しみの種(基)だと教えていただきました。

それってそもそもエゴだからね(笑)

『私って、こういう人だから、受け入れてね』

『どうせ解り合えないなら、仲良くする必要ある?』

『私のこと嫌いだから、意地悪するんでしょ?』

自分のやっていることや発している想いは棚にあげ、お相手ばかりに理解を求め、変化を求めた時や

『人間は、誰しも違いはあるが、どんな人にも間違いはない』を知らずにいる時に

人間関係は破綻の方向に進み出すのかなーと感じました。

お相手が、私(オレ)のことを解ってくれてるから、何を言ってもやっても許してくれるに違いないという思い込みが、

お相手が、オレ(私)のこと解ってくれているから、品や礼儀やおもいやりを欠いても許されるという甘えが、

違和感やしこり、不信感、疑念を連れてきます

人間関係に於いて【解り合える】事が何より大事だと想って、今まで生きてきました。

互いに共感し合える事が【解り合えている】ということだと信じてきました

そして、【解り合えなければ】、仲良くはなれないし、うまくやれないし、共存は出来ないとも思ってきました。

【解り合えてる】という想い自体が、虚です。

残念ながら、なんのスキルや努力、おもいやりも無しに【解り合えている】人間関係が構築されることはありません

【解り合えない】がベースにあるからこそ、

価値観を尊重し合う事

違いを認めること

解り合おうとする努力

解り合えるためのテクニック

必要なんだと想います

大事なお相手を傷つけないために

何よりもあなた自身が傷つかないために

ただ、傷ついた(傷つけられた)と想う今が

磨かれたという未来に変わった時

あなたは

そして私は成長できるのかもしれませんね。

【本日のG様のお言葉】

人間は他人の欠点だとすぐに気がついて、自分の欠点にはなかなか気が付かない。人と交流を増やす事で欠点を指摘してもらえるからさらにいい人脈にたどり着く。

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