理不尽

あぐりな元居宅ケアマネたまちゃんです。

今日は理不尽について、コラム?ブログ?🤔お話を書いて、私的思考をアウトプットしていこうかと想います。フィードバックもほしいとこですが🤪まずは、経験(インプット)思考の伝達(アウトプット)を主軸にコラム?ブログ❓🤪(調べろよっ笑)していこうと想い、つらつら書いているワケです。

今日は理不尽について感じたお話について

昨日、我が家の娘(小学生)が「お母さん、先生ってホント理不尽‼️」と怒り半分に話をしてきました。

話を聞くと、娘のクラスには認定子ども園時代からだらしのないT君という同級生がいます。だらしないと私が書いている、その意味は《遅刻、勉強出来ない、授業中寝る、人の家に上がり込む等》です。みんなには嫌われたり、いじめられてはいませんが、高学年になり、少しずつ彼の行動に対し、学年の子達が疑問を持つようになりつつあります。昨年までの担任の先生は、彼を諦めていたのか?投げやりにしていたのか?特別扱いで、テストも答えを教えたり、Tだから仕方ないという扱い。今年の担任の先生は、彼の妹を担任したことがあり、兄妹で同じ環境にいて、出来る妹のイメージから、彼は怠けているという認識のようです。

それが子ども達にも伝わり、娘も以前はT君はあーいう子だから仕方ないという目から、T君は怠けている、だらしのない人に変わっているようです。

さて、先生が理不尽というはなしですが、そんなT君のお世話係に任命されている我が娘とHちゃん。授業中、HちゃんがT君に勉強を教えていたところ、先生がT君に「先生が話してるのに、よそ見をしない‼️ちゃんと話を聞きなさい!!!」と叱りつけたということ。娘は、なんなら、Hちゃんが教えるのに話しかけて、T君はその話を聞いていただけなのに、先生は理由も聞かずに怒鳴りつけたから、理不尽だという説明。娘は、庇おうかと想ったけど、そういうことが多いし、庇いきれないし、私のすること?と思って何も言わなかっだけど、あまりに理不尽って想ったから、お母さん(たまちゃん)に愚痴っているわけです。

娘自体が先生に対してプラスの感情が無いので、この話は、たぶんに娘の解釈が込められているだろうと想いながら、うんうんと聞いていました。

娘はこういうことに理不尽さを感じるんだなーって。

普段のT君の行いが原因で、先生には思い込みがあることは感じます。また、娘の先生に対する思い込み、T君に対する思い込みもあろうかと想います。

人が理不尽さを抱く時、自分の中の信念、絶対正義があると想っていて、自分の中のべきの許容範囲からとび出た時に怒りが芽生え、それに抗えない立場である場合に理不尽さという感情が産まれるのかな?と想いました。

 

理不尽な事が自分に起こるということは、自分の中の正義が、相手の正義を拒否しているという事かな?と。

娘は今回の場面だけを切り取れば、T君は叱られる案件に値しないのでは‼️という想いがあり、先生は自分達(T君やお世話係に任命されている自分とHちゃん)を見れてないという疑念が湧いたのかもしれません。

理不尽さを感じた時、自分にはどんな《べき》があり、どんな感情を傷つけられた、または、蔑ろにされたと感じたか?に気付くチャンスだなーと感じました。

理不尽なことなんて、世の中にたくさんあります。みんなが自分の当たり前の尺度でしか生きていないからです。自分にも当たり前や信念があるように、どんな他人にも当たり前や信念があります。それに優劣も正しい間違いもありません。

少なくとも、理不尽と捉えた自分がいる(いた)ことが事実なんだろうなーと感じたお話です。

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