叱られたくない病

人生ナビゲーター見習い、あぐりなケアビトたまちゃんです。

昨日は娘っ子の小学校最後の運動会でした。

息子氏の時はイチイチと感動してきたのに、娘氏は全てに感動薄味で申し訳がないです。

娘氏には悪いと思うものの、初体験の感動(魂のパッションというか、バイブレイション)を超えられない。娘にしたら、なんでも初めてだし、息子と娘は違うのだから、リセットし、個体で観なきゃならないのに、自分(母ちゃん)フィルターが前に出ている、なんてこった。

昨日、運動会後、やや20年の付き合いになる姐さんのお家でランチをご馳走になり、お茶しながらお喋りをしていました。

結婚し、九州から北海道に嫁に来て、初めての友人となるのかな?

友人というか、親戚のお姉ちゃんです。離れた地域にくらしている間も何かとお世話をしてくれたり、アドバイスをしてくれてきました。

時々、きっとお互い様だとは思うけど、イラッとくる時がありました。本人は親切心から言ってくれているのだけれど、正直、うざったいという感情です。

自分の中の当たり前、価値観が強く、外れた世界へのあたり方が厳しいし、辛辣に感じる時が多々ありました。

考えてみたら、たまちゃんも、違う人にはそうなのかもしれない。似ているのかもしれません。

本人はあくまで正義、善かれ、おもいやり、心配から言ってくれています。その愛は分かった上で『ウザい』という感情が湧いてしまう自分自身に何度も悪、悪い、人で無しと自分自身をジャッジしてきました。

でも、すごく好きなんですよね。ジレンマです。難しいですね、人間関係は。

自分の意と姐さんの意が反している時、私はいつも叱られている感覚になっていましたし、同じになれない自分は罪人と感じていました。

私はとにかく、叱られたくない病の人だということに最近気付きました。怒られたくない!叱られたくない!

仮に自分が悪いことをしていても、叱られたくないので、叱らないで教えて欲しい欲です。

叱られている🟰全否定されている、人間性を否定されている

そう受け止めるクセを持っているからだとケアマネをしてみて気付きました。

なんせかんせ叱られたくない病の私は、ちょっとでも違うとかダメとか、悪いとか、変とか言われようもんなら、過剰に嫌悪がでる感情スィッチが備え付けられているのではないか?と、昨日、姐さんとお喋りしていて気付きました。

別に叱られてもいなければ、否定もされてもいません。

「私、宿命鑑定師になるから」とカミングアウトしたたまちゃんに「へー、好きなことやれるって良いね、私はあまり好きなことややりたいことがないからなー」と言ってくれました。

正直、ちょっとだけ「何バカなこと言ってんの?へんなもんにかぶれるのは辞めな!騙されるよ!!」と言われると思いこんでいました。

きっと、私のが、姐さんを思い込みの世界でしばって観ていたんだろうな、恥ずかしいな、ワタシ

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