お山は癒し。
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どうも、カルチャー人たまちゃんです。
今日の一服時、『ホウレンソウ(報•連•相)』の話になりました。
報告や連絡や相談が出来ない人達について、雇い主さん夫婦と、その心理について話題になりました。
もう1人の同僚さんはしっかり報連相が出来る!さすが元工場の職員さんだという話を聞きました。比べられたわけではないのだろうけど、比べられた気持ちが沸き起こりました。
自分が『報連相』を苦手としている自覚があるし、トラブルやミスに繋がりそうな事を気付けなかったり、疑問視出来ないところもある引け目があるからです。そして、ミスやおっちょこちょいが多いのは歴然としているから。
工業製品はミスが有っては大変です。作品や製品を作るなら、ミスやトラブルは致命症です。
まあ、一般的に普通の会社や職場で、ミスが許されるような職場はありませんが、私がやってきた【人相手のお仕事】は、目に見えたあからさまなミスやトラブルというのは、事が大ごとになって初めて世の中にあかるむ、そして、あかるんだ時は既に手遅れになっているパターンが多い職場である事が多いと思ったのです。
教育現場は特に。
学校、介護、医療、福祉、何かの講師はやったことはないけれど、きっと同じ括りだと想っています。
間違えが起きていて、確実に良くない方に進んでいる予感があっても
1、そもそも気付かない(センス、感覚、経験不足)
2、気付いていて見逃す(事を問題視していない、身勝手、短絡的)
3、自分が努力と根性で解決しなければと抱え込む(自分への責め🏫、完璧主義、自分への過大評価)
4、他人からも自分自身からも隠蔽(やりすごす、解決を諦める、困り感があっても大丈夫だと周りに隠す=心配させたくない、叱られたくない、完璧主義)
なぜ、報連相が出来ないのか⁉️を考えた結果、このパターンが想像されました💭
私のパターンでしょう、思いついてるんだから。
私は、ケアマネの時(今もかもしれない。解らないけど)確実に『報連相』が出来ていませんでした。
そもそも仕方が解らない、叱られたくない、反応を恐れている、見下されたくない、甘えがある、無責任である、自分も他人も信頼していないという気持ちがあったんだろうと今は分析出来ます。
当時は解らないし、ただただ辛いだけで、不安と恐怖しかなかったのですが。
感情や相手の反応、自分のステータス🟰自分自身の全てだと思っていたのだろうと気付かされます。人のことを考えていない、自分の感情だけに囚われている状態です。
だから、嘘をついて、誤魔化して、それに気付かずに、自分自身の顕在意識に騙され続けて生きてきたのかと想います(それは現在進行形)
私は嘘はつきたくないです。嘘はダメだと想います。でも嘘も方便の時もあるので、嘘がきらいより、誤魔化しや保身が良くないってことですよね、きっと。
私の場合は、間違えた事を言ったり、やったりしている時には純粋に自分自身も騙されていて、誤魔化されている状態にあります。
だけど、第三者から見た時は、嘘つきなのかもしれません。見方によって、人は他人のことはいくらでも誹ります。
事情や理由があっても、他人はそれを理解しようとせず、自分自身の事情や理由で意味付けし、他人を自分の尺度で推しはかります。
その誹りを恐れて、誹られたくない‼️と他人の見え方に自分を合わせば、辛くなります。
私の身体には、Sサイズの服は入らないから。Sサイズの服を着る人とは、サイズ感が違います。
自分サイズの服を着てる人でも趣味趣向は違うけど、とりあえず、着てみることは出来ます。似合う似合わない、好き嫌いは別にして。
同じサイズ感になる努力をするのか?
そもそも同じサイズ感の場に行くのか、同じサイズ感で挙句、趣味趣向が合う店舗に向かうのかかな?って想いました。
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