死生観

おっす!オラ、たまちゃん。なんだ、おめぇは?オラの日常みにきてくれたんけっ?ありがとな!オラ、オメェと会えてワクワクすんぞっ。はい、孫悟空風、しかも幼少期のー。調子に乗りましたー、すんまそん。

本題!

私にはたくさんの実際に会ったことのない人々(縁ある人達)がいます。mixi(かなり昔にやっていました、今やってません)glee、LINE、Facebook、Instagram、YouTube、アメブロ、ツィッター等、今の世の中、プライベートをいくらでも晒せれる、誰とでも、その気になれば気軽に手軽に繋がれる世の中です。

この世は陰陽、裏表、オセロのコマのように、光があれば影もある、ポジティブがあればネガティブもあるというように、必ず両極セットになっています。これは、もはや宇宙の道理かと想います。

人間は生きているからには、当然、死にます。

不老不死はないです。肉体としての話です。

輪廻転生、魂、人の記憶の中では不老不死もあるかもしれませんが。

全国に会ったことない、本当は知らない、けど、知った気になっている友人?知人?、、、ネットの友達が割といます。

SNS上で知り合い、電話やzoomや各々の投稿を見合う中で、存在はしているんだろうな、きっとという人達の中でも割と最初の方に仲良くなったAちゃんから電話が来ました。

役、3年半ぐらいのネット友達

介護士さんです。Facebookの2万人登録の介護のグループで知り合いました。

お互いに他人の投稿にコメントする中から、気が合うと思って、個人やり取りし、いつしか、相談し合う中になっていました。私よりもうんと若く、介護士としての実力も、人としての器も経験値も有ると想われる彼女です。

お互いに不平不満を言っていた場所(職場)を去り、転職しました。彼女は、私がケアマネになることは反対というか、きっと向かないし、無理だと最初言っていました。

いや、絶対になる!と言った私を応援してくれたし、実際に、もう限界、辞めると言った私に励ましの言葉もたくさんくれましたし、たまなら大丈夫といつも信じてくれました。

そんな彼女は職場の健康診断に引っかかり、病院に行くという話を前から聴いていました。

もし万が一、自分が死病であっても治療はしない、生きていても苦しいだけだし、楽しいことはないし、別に手術をしたり、治療したりして無理してまでは生きたくないという彼女の死生観は常々聴いていました。

昨日の電話は、結果を報告する電話でした。

身近な人(旦那さん)を差し置き、私に連絡をしてきてくれたらしい、その事を受け止めきれずに今ブログんで書いている私です。

結果は芳しくありませんでした。

治療しないと、多分死にます。

流石の本人も医者から病名を聴いてショックだということ、一応親には話し、治療しない気持ちを伝えたら、親がキレ散らかしてきたので、少し戸惑っている話を聞きました。

1時間半程話しましたが、私はお山(仕事)に行くので、寝るからと電話を切りました。

薄情なヤツです。

どう話を聴いてやれば良いかも、かける言葉も解らないし、ただ『私は生きて欲しいけどな』とだけ言いました。

近場なら、会って話を聴いてやりたい、抱きしめて、触れてやりたい、そう想いました。

それは実際には出来ないからそう感じたのかもしれません。

とにかく、また2週間後の通院の話を聞くからと言って終わりにしました。

生きてほしい、私は。 

それはエゴなのか。エゴは愛じゃないよね。

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