隣人と共に 災害と共に

先日、能登半島地震で被災された方へのボランティア活動に参加しました。

活動場所は被災地から離れた体育館で、長期的避難生活を送る方々への介護支援を行いました。2/9と2/27の2日間だけでしたが、その経験で得られたことをお伝えできたらと思います。

まず、被災された方の2次避難先の選択は確実に広がっています。

ボランティアのケアマネージャーや自治体、受け入れ先が協力し、各所で整備が急ピッチで進行、新たな生活を始められている様子でした。私たちが活動した体育館の廊下には仮設の居宅介護支援事業所があり、ホワイトボードにはたくさんの名前が記載されていました。避難所開設から数えて、おおよそ200人以上が移動したと見受けられました。これは喜ばしい進展です。

また、避難所である体育館内も整備されていました。

福祉用具が提供してくださっている車椅子や歩行器の充実、情報のファイル化、飲み物の種類の充実、各種スケジュールの改善、各専門職ボランティアの活動の見える化、レクリエーションの部材の種類の増加など、最初に伺った時に見えた少し不便だったところが改善されていました。その時も現場のリーダーが色んな提言を受けて調整しているところを見てきました。その積み重ねの結果、避難所という困難な環境にも関わらず、介護施設のような動きやすい環境が築かれていました。全国から集まったボランティアの方々の尽力の賜物かと思います。

他には、体育館の広いスペースに10台以上のベッドが並べてあり、マッサージを受けるスペースも設けられていました。

同じ姿勢を保ち続けることから生じる体調不良を緩和するためでしょう。マッサージは非常に人気で、多くの方が利用していました。

しかし、この体育館での避難生活は2月末で縮小されました。

日本介護福祉士会によるボランティア派遣が2月までなことから、体育館の活動範囲を狭めて活動されるそうです。

避難所生活は過酷です。

それを緩和するため、介護支援のため、皆さんが笑って過ごせるため取り組んでいますが、それでも大変な生活が続いていることは間違いありません。

体育館の天井が高いことはご存知でしょうか。

その高さは、特に夜に寝るときに不安を感じさせます。「夜が長い」と皆さんが言っていました。不安で眠れなければ、その感情は当然です。その厳しい生活を目の当たりにすると、心が痛みます。

そのような避難所にて、全国から集まったボランティアの方と連携して活動できたことは、貴重な体験でした。

私自身も初めての経験でしたが、これまでの自分の知識や経験をつなぎ合わせ支援を行い、相談し、新たな支援をリーダーや他のボランティアスタッフと一緒に構築することは、とても刺激的でした。

例えば、車椅子利用者に対して歩行器の導入を検討し、理学療法士や看護師と連携して実施したり、水分が摂れていない方を含めてレクリエーションを実施、水分補給の機会増やしつつ飲み物種類の提案をしたり、必要な支援情報の見える化と配慮の検討したりしました。制限がある場所でありながら、リーダーを中心にPDCAサイクル、あるいはOODAループを回していました。

その中で感じたのは、現場リーダーの素晴らしさでした。

  • 状況判断の速さ、フットワークの軽さ
  • 現場負担を減らし、ボランティア時間を柔軟に変更
  • こまめな方向性の統一
  • ボランティアが活躍出来るような声掛け、現場の整理

これらのおかげで、私だけでなく、全てのボランティアスタッフが気持ちよく動けました。

正直に言うと、ボランティアはもっと大変なものだと思っていました。

確かに大変な部分はありましたが、再び参加したいと思えるような活動であったと感じています。

個人的に、これは非常に素晴らしいことだと思っています。

ボランティアに参加した人が「また来たい」と思えるような活動を実現出来れば、被災地への支援の継続に繋がるのでしょう。活動を他の方に勧めることもあるかもしれません。大規模災害からの復興には支援が必要ですが、「継続につながる活動」の重要性を改めて認識し、その答えの一つを教わったと感じています。

私は今後も被災した方、地域への支援を続けていきたいと思います。

また日本は災害大国であると痛感しました。災害は今後もあり続けます。その上で必要以上に恐れることなく暮らしていくためには、適切な知識や普段からの地域活動が必要です。

今回の経験を踏まえて、私は「災害時の継続的な支援を考え、また災害に備えたソーシャルワークを実践する」社会福祉士を目指します。

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