与える影響は本当に小さいのか

最近困ったことがあり、それを振り返ると、原因は端的に言えば自己評価と他者評価の相違によるものでした。


そして感じたのは、自分を軽んじていると、自分が周囲に与える影響力なんてあまり考えていないということでした。


「私はまだまだだ」「私なんてまだちっぽけな存在だ」などの言葉が自分の頭の中の語録にあります。


自分はまだまだ小さいからこそ、自分の成長を考える上で、常に上を見ているのはいいことだ、そう思っていました。


人と関わる中で生きる私は、そういう意味では危うかったのだなと今では感じています。

想像してみます。

ここは森の中、空を飛ぶ鳥を無邪気に追いかけ回している子供が自分だとします。

大好きな森で飛び回りながらも、鳥はなかなか捕まえられないようです。

その自分が年を重ね、木の高さほどの巨人に成長したとして

同様に森で鳥を追い回したりするとどうでしょう

私はズドンズドンと走り回る中で、腕や身体がその森の木に当たって傷つけないでしょうか

森の木々に住む動物は怯えないでしょうか

果たして鳥は捕まえられるでしょうか

自分の成長を考え、得るもののために常に上を向き続けるのは良いことだと思います。

ただ、自分の姿を捉えられていないと、周りに思わぬ影響を与えることもあるのではないでしょうか。

実は、巨人になった自分が移動する時は、ゆっくり動いた方が自分も木々も傷つかないのではないでしょうか。

または立ち止まり、動物の集まる場所になることで、鳥のほうから止まり木として寄ってくれることもあるのではないでしょうか。

「自分を小さく捉えすぎると、周囲に影響を与えるチカラを軽く扱い、結果傷つけることもある」

そんなことが最近の経験で感じられ、戸惑っていました。

自分がその場に与える存在感や影響、挙動、発言、声の大きさ、どれも意識が薄いものでした。

気づかせてくれた環境に大きな感謝を感じています。

今回のことは大切な経験として、糧にしていきたいと思います。

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