あぐりでバイトな元居宅でケアマネなたまちゃんです。
昨日、アマプラで介護系映画を視聴しようとしたところ、避雷針?閃き?うちなるたまちゃんから(星の子)を見るようにというメッセージがあったので、従いました🤪怪しい?🤣
良くあります、お告げみたいな、閃きです。感覚なので、人に説明が難しいですが。
いま流行りの(推しの子)ではありません。
🟢星の子
2020年の映画で宗教2世の子どもの家族や社会との葛藤を描いた、芦田先生(芦田愛菜さん)の作品です。
🔴概要
虚弱体質だった主人公を助けたい一心で両親が縋る思いで新興宗教にのめり込んでいく話。
主人公は、産まれながらに当たり前としてあった家庭環境の中の宗教、親の愛の形としての宗教に対し、社会からの目や親戚からの目、友人、姉、好きになった人からの発言により、成長と共に違和感ともつかないない感情から、葛藤していくというお話。
結末的には、オチは良く解らなかったです🤪
オチようがないってことだなーって。
私は昔からスピリチュアルもオカルトも哲学も、心理学も、とにかく目には見えない精神世界のこと、特に心に対しては、凄く興味関心を抱いています。
宗教とスピリチュアルとの違いについて、自分なりに調べてみました。
🟤宗教は集団
🟡スピリチュアルは個人
私のざっくり行き着いた答えです。スピリチュアルは、個人的に持つ信仰心で、宗教は、集団で持つ信仰心なんだと。
なので、宗教は、集団になるからには、みんなで1つのゴールが必要になってくるのでしょう。
スピリチュアルはあくまでも個人レベルでのゴール設定なんや!と自分が納得しているお話です。
スピリチュアルも日本では意味合いがだいぶん誤解されているというYouTube解説動画を視聴しました。
私は自分的にはかなり信仰心があると思っています。誰になんと言われても、自分なりに、人として信仰心を持つことは生きていく上で当たり前のことと抑えて生きています。特定の宗教やスピリチュアルを否定も肯定もしません。自分に合えば受け入れ、合わないものとは距離を置く、ただそれだけです。友達や家族、利用者さん方にも宗教に入ってようが、スピリチュアルに傾倒していようが、関係ありません。その人の勝手ですし、私の勝手です。
さて、信じるものは救われるという言葉がありますが、これは真実かと想います。
ただ、信じることは期待することは違うなということをケアマネを継続できなかったちょっと過去の自分から教えてもらいました。
期待するのは、結果を信じています。
信じることが、結果に固執している状態、それが(期待)なのかな?と感じました。期待は本当は信じていないということだと。
この星の子のインタビューで、芦田愛菜さんは
「この作品を見て私が一番強く感じたことは、信じるって何だろうということでした。その人のことを信じようという言葉をよく使うと思うのですが、それってどういう意味なんだろうと考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分の思う理想像を期待してしまっているのではないかと感じました。だから、『期待していたのに』とか『裏切られた』というような言葉が出てきてしまう。でも、普段見えなかった側面が見えただけで、裏切られたわけではないのかなと思います。知らなかった側面が見えたときに、それもその人なんだって受け止めて決断できる揺るがない自分がいる。それが信じるっていうことなんだと思いました」
このように答えられたそうです。私は3年経った今しがた、視聴したので、過去動画で知りました。
信じると期待するが対義語になるならば、私は期待し、自分の信じていたものが違う形に見えた時に裏切られたと意味づけて、自分で傷ついてきたのか?と感じました。
信じる言葉の中に、信用と信頼という言葉があります。
信用☞過去のその人の実績や栄光、名誉に対して
信頼☞未来のその人の行動、言動、人柄に対して
信用には期待が付いてきて、信頼には信じるがついてくるのかな?と感じました。
信頼関係というけど、信用関係ってあんまり言わないしね。
ケアマネには、というより、人は生きていく上で、人に信頼することが大事です。
それには、例え、結果が自分の期待通りに行かなくても、それを含めて、丸ごと信じる🟰信頼🟰愛するということなんだなーと想いました。
人を信頼するって、勇気がいることだな。それでこそ、信じた自分を信じられなければ、信じられないですね。そもそも自分自身を信じることの出来ない者は、真の信を得るためには、自分自身の神を芯から、信じる力が大事やなと想いました。
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